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愛しき書物達をご紹介
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書 名 大江戸死体考 人斬り浅右衛門の時代
著 者 氏家幹人
出版社 平凡社
出版年 1999年

現代日本社会は蛍光灯で照らされた部屋のようだと思う。隅々まで青白い清潔な光に満たされている。影のない世界とでも言おうか・・・。私が小さな子供の頃、部屋の電気は白熱灯だった。オレンジがかった光は部屋の隅を照らしきれずに、薄暗い闇の存在を感じさせた。家の前の路地は舗装されておらず、雨が降るとぬかるんだ。高度成長期にやっとさしかかろうという時代、日本はまだ貧しかった。本当に乞食がいた。ホームレスではなく乞食。この違いをなんと説明したらいいのだろう。神社の祭礼時には怪しげな見世物小屋がたった。今の娯楽的なお化け屋敷とは違うおどろおどろしい湿った闇を、入り口にかけられた幕の向こうに感じた。お稲荷さんが祀られた神社の杜、弔いの飾りがたてられた墓場の土饅頭。生活のすぐ近くに闇がまだかろうじて寄り添っていた。
筆者は江戸時代の「死体」をめぐるあれこれを軽妙な語り口で書き綴っていく。扱うものがものだけに、これを、大真面目に書かれたら、数ページで読みたくなくなるだろう。だが、筆者は上手に最期まで読ませてくれる。このところ読んだ本の筆者が共通して言っていることがある。「昔の感覚や価値観を現代の感覚で捉えるのは間違っている」ということである。確かにそうだと思う。現代のこの感覚を古代に当てはめられるはずがない。現代においてさえ、10年違うだけで全く違う感覚が出来上がっているのだ。携帯電話がなかった時代の感覚と、携帯なしでの生活なんて!という今の感覚と同じとは思わない。それでもなお、人間というものに共通する何かを感じ取ることが出来るのが本当に不思議だ。
時代劇や時代小説好きな人なら、人斬り浅右衛門(山田浅右衛門)の名を聞いた事があるだろう。代々受け継がれたその名と職務の実態はどういうものだったのかを中心に書かれた本に、人間の不可解さと面白さを感じた。フランスの死刑執行人サンソンについた本を以前このブログにも紹介したが、この2者を比較するとそのあまりの類似に驚く。もし、興味をお持ちになったのなら、両方の本を読まれることをお勧めしたい。
作者はエピローグの副題に「もっと闇を!」とつけている。闇があるからこそ光が光として認識できるのだ。光しかない世界も、闇しかない世界も本当の世界ではないのかも知れない。光が当たり、影が生まれることで、
そこに確かに存在するものとして認識できる世界。時には積極的に闇を求めるのも悪くないと思った一冊。
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